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わさび Eutrema wasabi Maxim
japanese horse radish
アブラナ科わさび属の水生多年草本
漢方 生薬名 山葵根 |
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わさびについて書かれている |
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| 本草和名(918年) |
山葵・和名和佐比 |
| 和名抄 |
和佐比 |
| 延喜式 |
飛騨、越前、若狭、丹後、但馬、因幡の諸国から献納された |
| 本朝食鑑 |
性状や栽培法 |
| 和漢三才図会 |
蕎麦の薬味に山葵は欠くべからず |
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わさびは数少ない日本原産の野菜のひとつです。
わさびは限られた土地だけにしかできません。
わさびを食用に使用するのは日本と中国だけです。
特に日本での生産がさかんなことから日本の特産といわれています。 |
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沢わさび・水わさび |
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湧水や渓流などの流水の中で栽培するものです。有機物を含まない流水のあるところで、水温は摂氏9~12℃、季節による変動が少なく、水量も一定であることが理想的です。
産地は、冬暖かく、大きな根茎が育ち、品質面でも優れている伊豆・天城山山麓。湧水が豊富で、水温も適温な、「ワサビ田の理想地」ともいわれている長野県の穂高地方。そのほか岩手、群馬の清流地、島根の作付面積も多いです。
栽培
9~10月に、直径1.5~2cmぐらいの苗を1㎡あたり、15~16本定植します。
だいたい、15~24ヶ月で60g~80gの大きさに成長し収穫します。
清水を適温に保ち、適量を流すことがポイントです。 |
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畑わさび・陸わさび |
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直接流水を用いないで、湿気が多く夏涼しい土壌で栽培するものです。
冷涼な気候を好み、直射日光を嫌うため、北面の樹陰地などが適しています。
暑中は日おおいをして栽培します。作付けの多いのは長野、島根、山口です。 |
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ワサビダイコン
(これを畑わさびと呼ぶことがあり、混乱のもとになっています) |
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ワサビダイコンはワサビと同科別属の植物でワサビに似た辛味があるところから、ワサビの代用品(粉ワサビ、練りワサビに混入したもの)とされます。 |
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品種 |
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眞妻、だるま、島根三号、島根在来などです。
葉柄の色により、青茎種、赤茎種、白茎種と呼ばれます。
特に青茎種の栽培が多くされています。青茎種は辛味、粘り気が強く、品質もいいです。 |
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日本のわさび田 |
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| 伊豆 |
畳石式と呼ばれ、水量の豊かな傾斜地で行われる方法で作柄が安定し、良品、多収です。 |
| 穂高地方 |
平地式は水量の豊かな傾斜の緩やかなところで行われ、大面積での栽培に適しています。 |
| 湲流式 |
水量の少ないところでは、急斜面を利用して水の利用効率を高めます。流出しないように苗を石で押さえます。 |
安部川、富士川
多摩川上流 |
地沢式。湲流式のところより水量の多いところで行われています。 |
| 47都道府県中、35都道府県に栽培はみられます。 |
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わさびの歴史 |
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明和年間(1764~72)に栽培が始まりました。今でも良質なわさびが生産されている、伊豆の天城山麓のわさびは昔から定評がありました。天城わさびの名で知られ、江戸時代には伊東から舟で江戸へ出荷されていました。
明治時代には、山林の乱伐による水質の変化で腐敗病が蔓延しましたが努力の結果、栽培は回復しました。
大正12年(1923)の関東大震災でも大きな打撃をうけましたが生産者の努力で、伊豆天城山系の大産地は維持されてきました。関東大震災が伊豆のわさび田に大きな被害を与えた時、天城わさびに代わるものとして脚光を浴びたのが長野県穂高町の信州わさびでした。全国のわさび業者が穂高に殺到し、山間の田舎町はわさび景気に沸きましたが、戦時の食糧難により、黄金時代も長くは続きませんでした。しかし、第二次世界大戦後、人々の生活が安定し食生活が豊かになるにつれて、わさび田も復活し、穂高町は再びわさびの大産地となりました。 |
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江戸時代のわさび人気 |
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江戸時代の「和漢三才図会」には、「蕎麦の薬味に山葵は欠くべからず」と書かれ、人々に親しまれていたわさびですが、庶民的な食べものとしてデビューしたのは、江戸前ずしとの出会いからです。1800年代の初め、江戸深川・霊岸島のすし屋与兵衛がこはだを主としたわさびをはさんだにぎりずしを創案しました。
それが、江戸っ子の好みにピッタリと当たり人気を呼んだことがはじまりです。 |
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